
小論文を教えていると、スイスイ上達する生徒と何度添削を受けても伸びない生徒がいます。
何度やっても上達しない人の共通点、それは
「自己主張を書いている」ということです。
目次
自己主張を書いているうちは1ミリも上達しない
たとえば「生活保護」というテーマでは、求められる答案はこんな方向性です。
「貧困から抜け出せない原因は◯◯である。したがって行政は△△するべきである」とか
「 不正受給が横行する原因は◯◯にある。したがって支給方法を△△にするべきである」とか。
でもここで、こんな主張を始めたらどうでしょう?
「私は労働こそ国民の義務だと思う。だから生活保護に甘えずしっかり働いてほしい」
あなたの価値観を聞かされても、低所得者は救われないし福祉行政も健全化されません。
このように答案の方向性が180度違うわけです。
なぜ自己主張はダメなのか
自分の信念、自分の価値観を書くと、その答案が出題意図から外れるというだけではありません。
この先も上達する見込みはなくなるんです。
それは視点が「内向き、主観的」になってしまうから。
問題解決型の小論文では、主役は「困っている誰か」。
その困りごとも「十人十色のケース・バイ・ケース」。
そして解決のヒントは「当事者のいる現場」にあります。
でも自己主張を書く癖のある人は
「書き手の自分」を主役にし、
「一貫した信念」を何にでも当てはめようとし、
「自分の持ちネタ」の外に発想を広げることがありません。
だから毎回同じようなことをグルグルくり返し書いてしまうわけです。
さらに、「答え」が自分の中にあるので他人のアドバイスを聞いてくれません(笑)
うーん、これが一番深刻かもしれない。
短期間で上達するためのシンプルな方法
では「自己主張」を書く癖がついてしまった人はどうすれば治るのか?
実は案外シンプルな方法で癖を改めることができます。
それは「文体に『縛り』を設ける」こと。
「主観の言葉」をやめてみよう
たとえば原稿用紙に向かったとき、無意識に「私は」と書き始めてしまう人がいます。
最初に「私は」と書いてしまったら、そのあとは自分の主観を続けるしかないわけです。
自己主張を書こうなんて思っていなくても、うっかり書いてしまった言葉に縛られてしまうんです。
そこで、自己主張つまり主観につながってしまう言葉遣いを全部禁止にしてみましょう。
小論文で使ってはいけないNGワード5つ
「私は」
まず「私は」を主語に使うのをやめてみましょう。
その代わり、物事を主語にします。
「私はオムライスが好きだ」
→「オムライスはこの店の人気No1メニューである」
これだけで文章の視点を主観から客観に変えることができます。
「…と思う」「…と考える」
物事を主語にしたとしても、文末に「と思う」「と考える」と書いてしまったら
「思う」の文法上の主語は「省略された『私』」になってしまいます。これでは主観の文に逆戻り。
文末は「…である」と言い切りましょう。
「…だ」
小論文で「です、ます」を使わないというのは基本ですが・・・
学校ではこの「です、ます」の逆を「だ、である」と教わりますよね。
ところが、「だ」と「である」はまっっっっったく別物なんです。
「だ」は主観的表現、自己主張をするときの文末です。
「……だ。……なのだ。……だろうか」 なんだか暑苦しいじゃないですか。
「である」が客観表現の文末なんです。
「…がある。…いる。…する。…なる」も仲間ですね。
主観表現には「だ」がつく。客観表現は「る」で終わると覚えておきましょう。
「そうだ」「ようだ」
「◯◯が問題となっているそうだ」「△△が増えているようだ」
本当かな?と疑いたくなってしまいます。
「そうだ」「ようだ」は伝聞または推量を表します。
伝聞=自分では見ていないが、人から聞いた
推量=確認してはいないが、たぶんこうだろうと勝手に思っている
いずれにしても「自分では確認していません」と宣言したことになってしまいます。
「体言止め」
「長年続いている日本経済の衰退。そして国民に広がる政治不信。」
センテンスの最後が名詞で終わる表現を「体言止め」といいます。
これは「感情的」「大げさ」という印象を与える表現で、小論文ではNGです。
そもそも体言止めって、国語では「詩の表現技法」の一つとして教わりますからね。
どうでしょう?
敢えてこれらの主観表現を「一切使わない」という縛りで答案を書いてみましょう。
自分の価値観を書くのが難しくなるはずです。
でもその代わりに、現実の問題に目を向けるようになるでしょう。
内容がよくなるのは、それからです。
まとめ
①自己主張を書いているうちは上達しない
②主観表現を禁止すると内容もよくなる
③NGワードは「私は」「思う」「だ」「ようだ」そして体言止め
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